よかった、生きとって、よかった。
今なら心からそう思える。
2021年 1月22日。僕はバイクで事故にあった。
左膝打撲。左肘擦り傷。目の周りを8針縫った。
死にかけてないじゃんと思うかもしれない。
けど、今回はいつもと訳が違った。
何度か転けているが、本気で死ぬと思ったのは初めてだ。
そしてこれだけで済んだのは本当に奇跡なのだ。
この日は仕事が早く終わり、意気揚々とバイクで帰路につく。
昨夜から降っていた雨も上がり、日差しが差し込んでいた。
まるで僕の心を投影しているかのような天気だ。
いつも通り、ツレに「今から帰る」の連絡を入れた。
いや、思い返せばここからいつも通りではなかった。
いつもならば「気をつけて帰る」と送るのだが、この日はなぜか「今から帰る」と送信。
言霊はあるのだな。本当にそう思う。
それも関係してか、いつもより不注意な運転だった。
帰って「どの試合をみよう?」などとワクワクしていた。
そんなことを考えていると、ガソリンが切れそうなことに気付く。
時間もあるし、ガソリン入れて帰るか。
いつもと違うガソリンスタンドに寄ることにした。
ガソリンスタンドに入るために左折。
車来てねーな。確認し、左折。
前に視線を戻すと、小路地から車が猛スピードで飛び出してくる。
慌ててブレーキをかける。雨上がりの濡れた地面。取られるハンドル。
ぶっ飛んだ。
迫りくる地面。駆け巡る走馬灯。
あ、俺、死ぬな。本気で思った。
死ぬ直前は本当にスローモーションになる。あれは断じて嘘じゃない。
だが、僕は反射で受け身をとった。バイクに押しつぶされないように、バイクを右側に飛ばし、できる限り自分は左に飛んだ。
迫りくる縁石にぶつからないよう、できる限り左に。
生きた。生き延びた。
ボロボロになった服、悲惨に散ったバイクを見ながら側道に倒れ込んだ。
幸い側道に入っていたので、後方からの車はいなかった。
バイクを拾わなければ。立ち上がると視界が赤い。受け身をとったが、衝撃で目の周りとおでこを地面にぶつけ、引きずっていた。
焦った。バイクのミラーで顔を見た。目は見える。
やっちまった。皮が剥がれ、パックリと切れている。
ただ、自分でも驚くほど冷静だった。
まずは救急に電話をかける。警察にも。
飛び出してきた車はもういなくなっていた。
理不尽だが単独事故か。しゃーない。そう思った。
ツレと母親にも事故ったと電話をかけた。
ガソリンスタンドで傷口を洗わせてもらってタオルで止血。
アドレナリンが出てすぐに血は止まった。
あとは自賠責と免許証と保険証の準備。
頭を打ったので記憶が飛んでないか、事故った瞬間を思い出す。
きっちり一部始終を覚えていた。
そうこうしている間に救急車が到着。
いろいろ聞かれ初めて救急車で搬送。
よくこれだけで済んだな。そう言われた。
そして病院に着き、目の周りを縫った。
処方箋をもらい、家に着く。どっと疲れが押し寄せた。
落ち着いてもう一度、思い返す。
スローモーションになった『あの瞬間』
頭を過る『走馬灯』
死ぬなと思った。
だが、生きている。奇跡。奇跡だ。
本気でそう思う。
これだけの傷で済んでいること自体も奇跡だ。
生きているだけで丸儲け。
誰かがそう言った。
生きていることだけでも運が良い。
誰かがそう述べた。
本当にそう思う。本当に。
ここまで生きてきて25年。
高校を卒業し、生き急ぐことを頑なに選択した。
事故のニュースを見て思っていた。
事故は関係ない。俺はまだ死なん。と。
しかし自分がその当事者になった。気付くのが遅いかもしれない。
だが僕は思う。気付けて良かった。
『もっと噛み締め、ゆっくり生きる』ということに。
『もっと大切な人との時間を作る』ということに。
高校を卒業し、成功を掴むために生き急ぎ、蔑ろにしてきたこと。
大切な人、愛する人との時間。
周りに目を向け、声を聞くこと。
ゆっくり生きるのならば、世界は美しいということ。
生き急いでると絶対に気がつけない。
いや、大人になるにつれ忘れていくもの。これを思い出した。
これから先、顔に刻まれた縫い傷を鏡で見るたびに誓うだろう。
『命を噛み締め、ゆっくり生きよう』と。
そして思い出すだろう。
『生きてて本当によかった』と。